ありがとうを贈ろう。

ありがとうの本2017

絆創造業 平安閣グループ

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カフェの店員さんへ
僕がよく行くカフェの店員さんは耳が不自由です。でも、彼女はいつもとびきりの笑顔で接客してくれます。自転車で来ている人には「転ばないで帰ってくださいね。」と言ってくれるし、おばあさんのお客さんには「コーヒーを飲んでるから、いつまでも元気でいられますよ。」と言ってくれます。僕以外にも、この店員さんのマニュアル以外の発言に元気をもらっているお客さんは沢山いると思います。耳は不自由だけど、彼女の温かい言葉はきちんと伝わってくるのです。お客さん全員を代表して「ありがとう」と伝えたいです。
東京都 45才 男性
亡き母へ
一月の寒い朝、本当に突然に旅立ってしまった母。別れの言葉を掛けることも出来ず、ただただ家族皆が茫然とするのみでした。慌ただしく葬儀の準備を進める中で、喪服の着物のしつけ糸を外していた時、見つけた私の名前。着物の衿に染め抜きで名前が入れてあったのです。以前から「喪服は、他の人と一緒の部屋で着ることがあるかもしれないから。」と言っていた母。妹も同じように名前入りの喪服でした。亡くなって、なおひしひしと感じられる母の愛。母はまさしくオンリーワンの品を揃えてくれていたのです。二人の娘をいつの時も心配し、全てにおいて準備万端整えてくれていた母。本当に心から感謝です。葬儀当日、私は妹とお揃いの喪服で母を見送ることができました。「バッチリだネ!」という母の声が聞こえた気がしました。お母さん、ありがとう。
愛知県 47才 女性 
夫へ
生きててくれてありがとう。3人目の子供は夫婦念願の女の子だったね。誰に似たのかわからないくらい可愛くて。あなたを見ていたら、目の中に入れても痛くないってこの事なんだなって微笑ましく見ていたよ。お産後退院してから1週間。あなたは勤務中に突然倒れて入院。沢山の管に繋がれて先生から「覚悟してください。」と言われたあの日。目を開けてくれたあの日。リハビリに励んだ半年間。辛くて辛くて「死んだ方が家族のためにも良かった。」と呟いたあの日。それでも、退院して今日も明日もあなたの介護ができて私は幸せだよ。生きる事を諦めないでくれてありがとう。一生懸命生きててくれてありがとう。沢山のありがとうを愛するあなたへ。
秋田県 27才 女性
見知らぬ女性へ
先日パン屋で会計待ちをしていたところ、子どもがぐずり迷惑がかかるので、購入を諦めようとした時です。私の前にならんでいた女性が「お先にどうぞ。」と順番を代わってくれたのです。本当に助かりました。どうしよう、子どもの泣き声で嫌な思いをさせてしまう!という恐怖を一瞬で取り除いてくれた一言でした。私もさりげない優しさを伝えられる人になりたいです。ありがとうございました。
北海道 38才 女性 
おねえちゃんへ
おねえちゃん、いつもたすけてくれてありがとう。おねえちゃんは、わたしが赤ちゃんのときからわたしのことをまもってくれたんだよね。そのときのことは、おぼえていないけど、しゃしんでみたよ。おねえちゃん、もうすぐ中がく生だね。とってもうれしいけど、とってもさみしいよ。だって、いっしょにがっこういけなくなるから。わたしは、おねえちゃんのいもうとでよかったよ。これからもずっとなかよくしてね。大すきだよ。
愛知県 7才 女子
親友へ
軽い対人恐怖症のため新卒で入った会社をすぐ辞めた。そのことに関しては皆「しょうがないよね、次頑張りなね。」と言ってくれた。私はすぐ就活をまた始めて新しいところに就職をした。しかし朝に吐き気が来るほどの恐怖に襲われ、そこも3日で辞めてしまった。ほとんどの友達はそれを聞いて呆れて私から離れていった。親友のあなたもメールの返事がなく呆れたんだなと思った。だけど、3日後には長文のメール。ありがとう。あなたのおかげで今、きちんと働けるぐらいに回復しました。あなたがいなかったら、私は一生引きこもりだったかもしれません。希望をありがとう。
東京都 21才 女性
父へ
大学進学を機に田舎から上京し、社会人として数年が過ぎた頃、体力的にも精神的にも辛くなり、会社を休みがちになった。親しい人たちとの連絡も絶ち、毎日を過ごしていたある日、突然家のインターホンが鳴った。インターホンのモニターを覗くと、父が立っていた。あまりに突然の、そして意外な人物の訪問に私は驚いた。玄関を開けると「おう、元気か。」と言って父は心配そうに笑った。どれくらい時間が経ったのか覚えていないが、ほんの短い時間だった気がする。父は「思ったより元気そうでよかった。」と言って帰っていった。新幹線片道2時間、わざわざ来てくれた父。私はあの時、感謝の一言も言えなかった。お父さん、本当はあの時、とてもうれしかったです。ありがとう。
東京都 31才 女性
妻へ
私の妻は22年前、45才の若さで、癌で天に召されました。子供は男の子3人で、待望の女の子をやっと授かり、子育てに夢中の時でした。私の仕事は自営業で、妻も協力してくれ、一日一日が忙しい毎日でしたが、いつも笑顔で優しい妻でした。娘が小学校に入学後、体調が悪くなり、検査の結果、胃癌で余命半年と宣告されました。何度も手術をし、娘が小2の時に亡くなり、私は悲しむ暇もなく働きました。娘が成人式を迎え、やっとほっとして、滋賀県長浜市に旅をした時、お寺である言葉と出会いました。『人生は長さでない、深さである』。その後、娘は結婚し、昨年は男の子を授かり、私は孫から元気をもらっています。天国の妻よ、本当にありがとう。
愛知県 73才 男性
おばあちゃんへ
結婚して家を出て4年たちました。おばあちゃんちに下宿した7年間から、もう4年もたったと思うと、時の流れの速さにびっくりします。高校時代、私がお母さんと仲が悪くなり、実家から高校が遠いのもあって始まった、おばあちゃんとの二人暮らし。たくさん心配をかけたし、迷惑もかけてばかりでした。それでもいつも、ごはん、洗濯、そうじをしながら帰りの遅い私を待っていてくれました。私の結婚式の日、中座でおばあちゃんを指名した時「自分の娘のように可愛いがってきた。今日という日が来て嬉しい。」とスピーチしてくれたおばあちゃん。新居に引っ越す日、私の大好物ばかりの食卓で「荷物は全部置いとけばいい。少しずつとりにこやええがね。」と少し寂しそうに言ったおばあちゃん。今年、私は出産し、おばあちゃんはひいおばあちゃんになりました。まだまだおばあちゃん孝行はこれからだから、元気で長生きしてください。いつもありがとう。小さい頃からずっと大好きです。ひ孫と、たくさん会いに行くね。
愛知県 26才 女性
祖母を助けてくれた男の子たちへ
12月の気温7度の寒い日の夕方。外にいる犬の餌やりに出かけ、石につまずいて転んで起き上がれない80歳の祖母。家の中にいる家族には祖母の助けを呼ぶ声が聞こえませんでした。部活帰りの3人が祖母の声を聞き、走って家族に伝えに来てくれました。急いで祖母のもとに向かうと、痛みよりも寒さで祖母の体は震えていました。医者から「あと少し発見が遅かったら命が…。」と伝えられました。野球部の3人、祖母の声に気付いてくれてありがとう。走って知らせに来てくれてありがとう。祖母が救急車に乗せられるまで、そばにいて声をかけてくれてありがとう。無事に退院した祖母をいつも気にかけてくれてありがとう。祖母の命を助けてくれてありがとう。
島根県 29才 女性
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