ありがとうを贈ろう。

ありがとうの本2021-2022

絆創造業 平安閣グループ

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駅員さんへ
私は、いろんな理由や出来事から最近「障がい者」になりました。横浜市の制度では、高齢者のみならず希望すれば、若年層でも優待乗車券という横浜市営が運営するバスや地下鉄を制限なく利用できる福祉制度があります。対人改札口で呈示すれば、自動改札を通らずとも駅に入れて、乗下車ができます。しかしそこで気づいたのはその制度で乗車する多くの方々が「無言で」駅員さんに呈示し、対人改札を出入りする姿。例え高齢や障がいがあるとしても、その他の一般の方は正規料金で運賃を払っているところを割引で乗車できているのです。この感謝の気持ちをこめる意味でも私は毎回「お願いします」「ありがとうございました」を発声するようにしています。
神奈川県 32才 女性
仲間へ
私は剣道を習っています。稽古はいつも厳しいけれど、仲間と一緒にがんばっています。稽古をやる前や終わった後は、みんなで話をします。そんな仲間は、うれしいときも、苦しいときも、一緒にみんなで喜んで、悔しいときはみんなで泣く。お互いに信頼し合い、分かち合える、そんな仲間です。もし、仲間がいなかったら、剣道を続けていなかったでしょう。仲間がいるから、苦しくても前に進める。どんなときだって、励まし合えるからこそ、今があると思います。仲間とやる剣道の「楽しさ」を他の人にも教えたい。そしていつかみんなで「優勝」をつかめるようにがんばっていこうと思います。みんな、ありがとう。
愛知県 12才 女子
次男へ
先日、次男が中学を卒業しました。最近は、反抗期もあり、なかなか会話が少なくなり、コミュニケーションを取る事に難しさを感じていました。その時期に、高校の制服を買いに、高校に一緒に行く機会が出来ました。一緒に二人で出かける事自体が、凄く久しぶりで色々話すチャンスだと思い「帰りにショッピングセンターへ買い物に行こう!」と誘ってみました。ぶっきらぼうに、「いいけど。」と、ついて来てくれました。必要な物を買い、欲しかった靴を買い、好物のクレープを買ってあげて、帰りました。仕方なく、買い物に付き合わせてしまったので、嫌だったかなーと、少し心配になったのを覚えています。そして、中学校の卒業式のことです。コロナの影響で、会場の入り口で、受付の人から、親への感謝の手紙を、渡されました。子供らが、入場するまでの時間に手紙を読むと、とてもびっくりする内容でした。「制服高かったけど、買ってくれてありがとう。欲しかった靴も、買ってくれてありがとう。3年間大事に使います。実は・・・一緒に買い物楽しかった。クレープ好きなの覚えてくれてて、ありがとう。おいしかったよ。また、買い物一緒にいこう。」という内容でした。ぶっきらぼうな態度の奥に、こんな小さなありがとうを、いっぱい感じてくれていたんだなと思い、とても可愛く愛おしくなりました。これからも、どんな小さな事にも、感謝出来る心を持って欲しいなと、願っています。
愛知県 40才 女性
全ての方へ
私がありがとうと贈りたい方は家族もですが職場の方や色んな職種の方、そしてコロナが蔓延してからずっと働き続けてくださっている医療従事者の方、たくさんの方にありがとうを贈りたいです。自分一人では生きていません。皆さんの力といろんな方が適所なお仕事をしていてくださることで毎日生きていられます。落ち込むことも悩むことも本当にたくさんあります。でも誰かが支えてくれます。元気やヒントをくれます。一日一日を穏やかに過ごすのは簡単なことではないことをすごく思いました。私も誰かの力になれたらいいなと思っています。いつも支えてくださる全ての方に感謝の気持ちを贈ります。心を込めてありがとうございます。
愛知県 44才 女性
言葉へ
ぼくがありがとうを贈りたい相手は言葉です。言葉は人とのコミュニケーションをとる一つの方法です。ぼくは言葉には人との心をつなぐ不思議な力があると思います。今、ぼくに仲間がいるのも言葉のおかげです。姿や形は無いけれど心に残るそんなものに「ありがとう」。
愛知県 11才 男子
夫へ
いつも支えになってくれてありがとう。2020年10月、コロナ禍の入籍。職場が千葉の夫は、私の看護師としてのキャリアを考え通勤が2時間かかる神奈川県に移住してくれました。2ヶ月後に私はコロナ病棟に異動。全国で感染拡大が起こり、毎日遅くまで働く私の為に温かいご飯を作って待っててくれる良き夫となってくれました。職場で毎日のように人が亡くなっていく終わりの見えない辛さ、TVや知人からの代わり映えのないコロナ拡大のニュース、自分が感染してはいけないという重圧、突然泣き出した日も優しく受け止めてくれました。楽しい新婚生活のはずなのに、寝室は別、外出を控え、結婚式が出来ないなどの負担を背負わせてごめんね。この恩を忘れずに夫に何かあった時、こんどは私が力になるからね。これからも末永くよろしくね。
神奈川県 25才 女性
隣人へ
お隣のご夫婦が亡くなられて半年経ちました。長い間ご夫婦だけで住まわれていた住居も解体されて空き地となり寂しい限りです。主人と義母は子どもの頃からずっとお世話になっており、私達夫婦と子どもの世帯になってからも変わらず近所付き合いをしていただいておりました。ウチの子どもが家の鍵を忘れた時は私が帰ってくるまで自宅に入れてくれたり近所のスーパーで買い過ぎたからといつも卵等頂いておりました。奥様が病で施設に入られたあとも一人暮らしのご主人様にはお庭で採れた野菜を頂いておりました。最近姿が見られなくなったと思っていたところ奥様が先に亡くなられており、ご主人も亡くなられたとのことを挨拶に来られた息子さんにお聞きしました。生前にお伝えすることが出来なかった「いつもお世話になりました。ありがとう」の言葉を贈りたいと思います。
広島県 53才 女性
偶然お会いした方へ
2歳、0歳児の母になり、人の優しさに触れる機会が増えました。あるとき、電車で子どもが泣きやまずに困っていると「眠いのかな?元気だねぇ」と声をかけて和ませていただきました。また別の日には、買い物中、二人の子どもと荷物で手一杯になっていたときに「持ちましょうか」と荷物を持って助けていただきました。そんな優しさに触れるたび、胸があたたかくなります。優しく助けてくださったみなさん、ありがとうございました。
愛知県 29才 女性
おじいさんへ
私はある日、インフルエンザで学校を休まなくてはいけなくなってしまいました。それで、病院で検査をすることになったのですが、初めての検査で、とても怖かったです。まだ小さかったので、インフルエンザだけではなく、もしかしたら重い病気なのかも・・・と、不安でいっぱいでした。お母さんにしがみつきたかったのですが、受付に行っていました。もう無理、怖いと目をつむっていたら、肩をポンポンされました。目を開くと、知らないおじいさんが立っていて、何かを手渡し「頑張ってね。」と声をかけてくれたんです。おじいさんが去ったあと、手を開くと一羽の折りづるがいました。すごく嬉しくて、検査も頑張れる気がして。あの時のおじいさん、ありがとう。
愛知県 12才 女子
父へ
7歳の私のもとに突然現れた知らないおじちゃん。私が40歳になっても呼び方はおじちゃん。母子家庭で貧乏だった私たちを旅行に連れていってくれたり、家を建ててくれたり、世間一般の普通の幸せをくれました。反抗したり心配かけたり若い頃は散々迷惑をかけましたが、地元を離れて初めて、血の繋がらない子供達を育てることでどれほど苦労したか、孤独だったのか想いを馳せるようになりました。神経質で頑固で、私達と似ている所なんて一つもないけど本当に大好きです。ありがとう、お父さん。
愛知県 40才 女性
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