ありがとうを贈ろう。

ありがとうの本2018

絆創造業 平安閣グループ

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一年生になった娘へ
この春、我が家の長女がピカピカの一年生になった。5月末にあった初めての授業参観は、道徳「ありがとうを伝えよう」という内容だった。子どもたちは、日頃お世話になっている家族や地域の見守り隊、先生、お友だちなどへの感謝の気持ちを発表していった。娘の番になった。「お母さん、大好きって言ってくれてありがとう。」はっとした。初めてだらけの娘とのこれまでが一気に思い出され、思わず涙が出そうになった。想うだけではなく、言葉で伝えることの大切さが身にしみた。Aちゃん、忘れられない発表をしてくれてありがとう。
愛知県 33才 女性
お母さんへ
その手紙をもらったのは、去年の『ニ分の一成人式』の時です。その手紙には、私のことを思って書いてくれたお母さんの字がずらりとならんでいました。その文字を読むたびに、私は今でも泣いてしまうこともあります。かなしい時や、つらい時、苦しい時に、いつもこの手紙を読みます。するとその手紙は、いつも私の背中をおしてくれます。これからも、きっとたくさんの困難があると思うけど、この手紙があれば、どんな困難でも、きっとのりこえていけると思います。そんな手紙をくれたお母さんに、いつもは言えない「ありがとう」をおくりたいと思います。
愛知県 11才 女子
両親へ
高校の部活で朝から夜遅くまで血のにじむような練習をし、最後の県大会に挑んだものの、決勝で涙をのんだことを覚えていますか?悔しくて、お父さんとお母さんの顔を見た途端に、一気に我慢していた涙が溢れだした私に「ここまでやれるなんてすごいよ。頑張ったね。」と言って抱きしめてくれました。あのぬくもりは一生忘れられないと思います。お父さんとお母さんの子供に生まれて良かったって、心から思います。本当に、ありがとう。
福岡県 39才 男性
少年へ
診療所へ通院する為、いつもの慣れたバスに乗車していた。降りる間際になり小銭をもち合わせていないことに気付いた。ましてその日に限ってバスは混んでいた。降り口でもたもたした。ドライバーが私に何かを問うたようだが、早口だったし緊張していたので、耳に入らなかった。その時、高校生らしき少年が私に百円玉2枚を握らせてくれた。躊躇している私にまたもや、その少年は、運賃箱に私の分の運賃まで投函してくれた。ありがとうを言いたかったが既に少年との距離は遠くなっていた。
大阪府 82才 女性
交通指導員さんへ
毎朝、子どもたちが安全に登校できるように指導してくださりありがとうございます。そこは、信号機のない横断歩道で、私が幼い頃は何度も怖い思いをしました。数年前から指導員さんが立ってくださるようになり、私たち保護者も安心して我が子を送り出せるようになりました。最近、恥ずかしがり屋の長女が大きな声で挨拶ができるようになりました。指導員さんから「今日も、元気がいいね。」とほめてもらえるのが嬉しいそうです。子どもたちへの細やかな声掛けもありがとうございます。これからも、お元気で子どもたちを見守ってくださいね。
大分県 28才 女性
毎日席をゆずってくれたおばあちゃんへ
今はもう六年生だけど、四年生の時に、地下鉄の席をゆずってくれて、ありがとうございました。今でもゆずってくれたこと、鮮明に覚えています。今では、そのことをまねして席をゆずっています。でも、今はもう、全然会えていませんね。前に会った時と同じ時間の電車に乗っても会えません。お年寄りだったのに、席を毎日ゆずってくれて、本当にありがとうございました。大人になったら、おばあちゃんのように、親切な人になります。本当に、ありがとう。
愛知県 11才 女子
娘へ
娘が「お腹空いたのでごはんを食べに行こうよ。」と。私はすでに晩ごはんを終えていたが、「仕方ない、つき合うか。」、「焼き鳥食べに行こう。パパはお酒飲めば。」、「うん」。娘の運転で行くものと思ったら「パパ、歩いて行くよ。私も飲むから。」、「えっ。」かくして歩いて15分の所の焼き鳥屋へ。夜遅い時間に60才になる男と21才の女が、焼き鳥を食べながらお酒をくみかわす光景をまわりはどう見ているのだろうか。少し気になった。少しちどり足で帰る道すがら空を見上げるとおぼろげの半月が。嬉しかった。もうすぐ定年になり残りの人生を考える時期に、このような時間を作ってくれた娘に感謝。「ありがとう」。この先何回この「ありがとう」を言えるのか。
愛知県 59才 男性
おじいちゃん、おばあちゃんへ
折にふれて届く手紙。段ボールいっぱいのお菓子や果物。電話越しの優しい声。幼い頃から惜しみなく注いでくれた愛情を、社会人になった今も変わらず注ぎ続けてくれてありがとう。会えるのは1年にたった3回だけ。お正月とゴールデンウィークとお盆の大型連休の時だけ。たまに、あと何回会えるだろうって切なくなるのは内緒です。だからね「せっかくのお休みなのに、どっか旅行にでも行かんでええの?」なんて、どうか心配しないで。旅行に行ったら、年3回しかない機会が減っちゃうよ。会いたいから帰省してるんだよ。だからね、あと一つだけ、どうしても聞いてほしい我が儘があります。ずっと会いに行きたいから、どうかずっと元気でいてね。
愛知県 28才 女性
部活の先輩へ
ぼくが部活動の大会で走っている時、部活の先輩が大きな声で応援してくれた。そのおかげできつい所も歯をくいしばって走れた。周りの声でエネルギーがたまったような感じだった。終わった後に「ありがとうございます。」と言った。先輩もこれからが本番だと思うから、いっしょうけんめい応援したい。そしたら先輩もいい大会に行けるかもしれないから、エネルギーを声で注入してあげたいです。応援した分だけ自分にもかえってくると思うので走りも応援もがんばりたい。応援をがんばれば、部活は「ありがとう」であふれると思う。「ありがとう」であふれれば、いいタイムも出ると思う。部活動でいい人間力をつけるために、積極的に「ありがとう」を言いたいです。
愛知県 13才 男子
他界した祖母へ
私が小学生の頃、休日には祖母の家にいました。祖母はいつも優しく出迎えてくれていました。そんな祖母宅から足が遠のき、私は友達との学生生活を謳歌するようになっていました。私が高校を卒業する時に祖母は足腰も弱くなり施設へ入ることに。進路に迷っていた私は小さくなった祖母の背中をみて祖母への孝行をしてこなかったことを激しく後悔し、介護士になる決意をしました。介護士として7年目が過ぎた頃、祖母は他界。その時私のお腹には新しい命が宿っていました。無事子供を出産し、夜泣きに追われている明け方、夢に祖母が出てきたのです。私は泣きながら「何もしてあげられなくてごめんね。」と祖母に謝っていました。祖母は逢いに来てくれたんだ、と信じています。あの夢の中「ごめんね」ではなく「ありがとう」と伝えればよかった。泣き虫な私が心配だったのかな。お盆に仏壇の前で手を合わせる時にはきちんと伝えるね。「いつも、見守ってくれてありがとう」。
神奈川県 40才 女性
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