ありがとうを贈ろう。

ありがとうの本2014

絆創造業 平安閣グループ

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長女へ
ある晴れた日、家族でドライブをしてました。何でもない国道でいきなりの渋滞。よくみると前方で70才くらいのおばあさんが膝をかかえてうずくまってました。通行中転んだ様子でしたがどの車もおばあさんを迂回して何事もなかったように運転してました。私も、一瞬助けるべきかと考えましたが、そのうち誰かが救急車を呼ぶだろうと思い通り過ぎようとしていました。その時、助手席の5才の子供が「なんで誰も助けてあげないの。あのおばあちゃん奈々ちゃんのおばあちゃんぐらいの年だよ」といいました。それを聞いたとき私は考えました。もしあのおばあさんが自分の親で、このような状況で誰にも助けてもらえずつらい目にあえば、なぜ誰も助けてくれなかったのか怒りと悲しみで胸が一杯になるだろう。そう思うとすぐに車を路肩に止めて救急車を呼びました。子供に「パパはやっぱりやさしいね」といわれましたが私は何事も無く通り過ぎようとした自分が恥ずかしく子供の顔をまっすぐ見ることが出来ませんでした。私の方こそ大事なことを思い出させてもらった子供にありがとうといいたいぐらいでした。
愛媛県 40才 男性
息子へ
「パパいないときは、ぼくがママをまもってたんだよ」単身赴任を終えて家へ帰ると、3才になる息子が大きな声で教えてくれた。1年半という短い間でしたが、彼にとっては半分の人生。本人にとっては、父親不在の中、きっと子供でありながら、パパの役割もしなくちゃと思っていてくれたんだね。「ありがとう」息子を抱いた私は、彼の目を見てそう言った。彼は、それ以上何も言わずに、小さな手で、ぎゅっと私の頭を包んでくれました。それは、寂しさや、不安だったことなど、色々言葉に出せない思いが詰まったハグでした。私は、もう一度、彼の目を見て言いました。 「ありがとう」
愛知県 30才 男性
天国に逝ったあなたへ
38年前に愛するあなたが急にすい臓がんで他界してから、生まれて3か月の娘と5才の息子と3人になり心ぼそさと悲しさと寂しさとこれからの事を考えて途方に暮れる毎日でしたが、あなたのくちぐせの「一日一日笑顔で大切にしていこうな!」を心に抱いて頑張って毎日一生懸命に働きました。あれから、月日が経ち子供たちも幸せに結婚して孫も出来、小さな幸せと安らぎを沢山見ることが出来ました。今も38年前と変わらないくらい愛しています。これからもずっと愛しています。そして、2人の子を授けてくれた主人に感謝しています。あなた、本当に本当にあなたに似て優しい子供たちです。ありがとうね。もう少しかかるけど、天国でお話したいことが山ほどあるから楽しみに待っててね。
大阪府 65才 女性
お義母さんへ
私はお姑さんが嫌いだ。いつも悪気なく迷惑なことばかりして、忙しい時にのほほんと電話してきたりする。旦那も、そんな姑を注意するどころか「まぁまぁ」とかばうのも気に食わない。目の敵にして友達や母親にもいっぱいグチった。でも、私が熱を出して寝込んだ時、誰よりも早く駆け付けてくれた。抱えきれないくらい沢山のお見舞い品を持って。受け取ったらずしりと重かった。小柄で力もないのに、大変だったでしょう。お義母さん、今まであなたの気持ちを素直に受け止めなくてごめんなさい。旦那さんが貴方のことを好きな理由がわかりました。嫁の私にまで愛情を注げるなんて、心が広くないと出来ないこと。これからは、ちょっと調子外れなあなたの愛情も笑顔で受け止められそう。お義母さん、いつもありがとう。
東京都 30才 女性
母へ
5年前、脳梗塞になって記憶に障害が出た時、親父から「お前の名前も分からんかもしれん」て言われた。親不孝ばかりしてきたから、神様がきっとお袋の記憶から俺を消し去ろうとしているんだ。それならばそれでいい。元気でさえいてくれればと思い病院に急いだ。まもなく病院に着き、病室のドアを開けた。「来てくれたのかい」僕を認めたあなたはそう言いながら優しく僕の名を呼んだ。「俺のことが分かるのか」「当たり前だよ。お前のことだけは忘れはしないよ」こみ上げてくる涙を見せたくなくて、あなたを抱きしめ肩越しに泣いた。そして僕は何度も繰り返していた。「神様ありがとうございます。そしてお袋ありがとう」
青森県 52才 男性
中学校からの友人へ
小学校の頃からいじめられっ子だった私、「あなたと一緒にいると私までいじめられるから」と、「人前であまり話しかけないで」と友達だと思ってた子達に言われ、もう誰も信じられないと人間不信になってた私。あなたと出逢って、私の人生は変わったよ。クラスメイトにからかわれる私をみて、「気にする事ないよ悪い事なにもしてないんだから、堂々としてれば良いよ!」って、そばに居てくれた、あなたが友達でいてくれたから、いじめられる事もなくなったよ。あなたのおかげで人を信じられるようになったよ。あなたと友達になって25年、今でもあなたは私の信友(信じられる友)だよ。
愛知県 37才 女性
お母さんへ
病気になるとわかっていて産んでくれてありがとう。透析に通う原因になったのは体が弱いのに私を産んだから。そのことを聞いた時に、なんで私なんて産んだのと自分で自分を責めました。でもお母さんは「病気になるのわかっていても、さっちゃんを産みたかったんだよ」と言ってくれたよね。その時は意味がまだわかりませんでした。自分が結婚して子供が出来た時、輸血が必要になるかもしれない、難産になると言われたのに赤ちゃんを産みたいと思った。初めてお母さんの気持ちがわかりました。お母さんってすごいんだね。お母さんが私を命がけで産んでくれたおかげでこの子の顔を見ることができました。産んでくれて、育ててくれてありがとう。
愛知県 25才 女性
夫へ
「ずっと幸せにします。お嫁さんになってください。」そういってくれた日から、今年で10年です。あっという間の10年でしたね。2人の子供にも恵まれました。転勤で関東に引っ越し、やっと購入したマイホームも突然の転勤で手放しちゃったけど、あなたと結婚した日から、どんなことがあっても、いつも幸せでした。私はいつも、あなたを幸せにしていましたか?私のご飯はおいしいですか?仕事でストレスがたまっても、うちに帰るとあなたはホッとできていますか?この10年で、あなたに何度尋ねたでしょうね。でもあなたは、いつも笑顔でうなずいてくれます。これからは、もっとあなたを幸せにします。10年目の節目に、今度は私から、あなたに。「ずっと幸せにします。これからもわたしの旦那さんでいてください。」この言葉を贈りたいです。
神奈川県 35才 女性
母へ
あなたの肩を揉みながらまあるくなった背中に顔をうずめてみたら、はるか昔の私が蘇った。弟とふざけて転びガラス戸に衝突した時、ガラスの破片が突き刺さったままの私の頭をタオルでくるんで、あなたは背負って病院まで運んでくれた。痛いという記憶はなくてただ、温かな背中に揺られて「大丈夫だからね。大丈夫だからね。」優しい声で何度も繰り返すあなたの言葉が呪文のように聞こえていた。今、83才になって歩くこともままならないあなたは身体も心もすっかり弱って「迷惑かけてごめんね」とつぶやく。貧しい暮らしの中で愛情いっぱいに育ててくれたあなたに「大丈夫だよ。大丈夫だよ。」耳元で何度も繰り返す。お母さん、生きていてくれて本当にありがとう
愛知県 56才 女性
おばあちゃんへ
「おばあさんから、電話ですよ」披露宴の途中で、司会者の方に電話を渡された時、ビックリした。私の結婚式当日、体調がすぐれなくて出席できなかったおばあちゃんからのサプライズ。付き添いで自宅にいた叔母さんに頼んで電話をくれたんだってね。そのサプライズ、大成功。あの日おばあちゃんがいなくてとても心細かった私は、おばあちゃんの声を電話で聞いたら、やっぱり涙が止まらなくなった。あの時の電話を、私は一生忘れない。私の大好きなおばあちゃん。いつか私もおばあちゃんのような女性になれるかな。おばあちゃん、素敵なサプライズをありがとう。私はおばあちゃんの孫に生まれてきて幸せだよ。
愛知県 35才 女性
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