ありがとうを贈ろう。

ありがとうの本2014

絆創造業 平安閣グループ

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天国の父へ
大正生まれの父が天国へ旅立った日、私は念願の東欧への旅行中。急遽帰国したが火葬は終わっていた。60才まで働いた自分へのご褒美に、大好きな「モルダウ」をプラハの春音楽祭で鑑賞した。まるでその日を選んだかのような父の旅立ち。甘えん坊で身勝手な私が、取り乱し悲しむのをお見通しだったのかな。いつも貴方の大きな愛に守られ、最後のプレゼントだったと、今は思う。私の死も、娘や孫に最大のプレゼントとして愛を残せるかな。精一杯生き、87才で逝った父のように。
愛知県 63才 女性
妻へ
いつもケンカばかりしているね。ケンカするほど仲が良いというけれど、やっぱりケンカはしない方が良いよね。本当は「ありがとう」って言いたい時もいっぱいあるんだよ。でも、なかなか言葉にできません。結婚して15年。今まで何回「ありがとう」って言ったかな?これからは、「ありがとう」を言えるようになりたいな。結婚してくれてありがとう。子供の成長を見守ってくれてありがとう。いつもおいしいごはんをありがとう。家の中に「ありがとう」がいっぱいあるね。
長野県 51才 男性
父さんへ
あの日、父さんが旅立ってから、もう3年半の月日が経ちました。あの日の少し後に、東日本大震災が発生して、東北が大きな痛手を被りました。父さんが大好きだった、杜の都「仙台」も大きな被害を受けました。テレビで津波の映像を見る度に、父さんが見てたら、ショックだろうなっていつも思っていました。何度も、家族で東北に行きましたね。特に「仙台」は、たくさんの思い出がある所です。父さん、あなたのように日本人は我慢強いです。決して諦めません。時間は掛かりそうですが、少しずつ復興に向かっています。何回かボランティアで「仙台」に入りました。微力ですが、今自分にできる事をして、少しでも復興のお役に立てればと思っています。父さん、そちらから見ていて下さい、そして見守って下さい、東北が日本が復興していく様子を。
愛知県 53才 男性
先生へ
私は先生にもう一度「ありがとう」を伝えたいです。私が小学校2年生だった時の担任の先生だった。小学生の頃の私は会話が苦手で人見知りだった。仲の良い子としか話せず、友達を1人でつくれなかった。人付き合いの苦手な私を変えてくれたのが先生だった。その先生はとてもおもしろく、私にたくさん話しかけてくれた。先生は明るく、周りを笑顔にするような人だった。先生に話しかけられるごとに私も明るい性格になっていった。今では先生にはかなわないが、人を笑顔にするのが得意になった。それは今の生活に生きている。先生はあの時、自覚していなかったかもしれないが私に人生で大切なことを教えてくれたのだと今思う。もう会えることはきっとないが伝えたい。ありがとうを。
愛知県 15才 女子
夫へ
いつも私の両親のことを気遣ってくれてありがとう。私が旅行へ行く計画を立てていると「ご両親も誘ってあげれば?」と言ってくれるので、私も気兼ねなく両親を誘うことができます。本当にありがとう。旅行先ではずっと運転をしてくれたり、荷物持ちに徹してくれたり、気疲れすることも多いだろうに、「ご両親が喜んでくれて良かった!」と言ってくれる夫に心の広さを感じます。両親が行けなくて、2人だけで旅行した時でも「連れてきてあげられたら、ご両親喜んだろうなあ。」といつも私の両親のことを想ってくれています。こんな夫と一緒になれて私は本当に幸せです。私の両親もとてもありがたく思っています。本当に本当にありがとう。
愛知県 40才 女性
中学校吹奏楽部の部員たちへ
夏のコンクールにむけ金賞を目指していたけど、私が年数の満期で転勤することになっていた。しかし、この子たちと全力でぶつかるために年度末まで転勤のことを伝えずにいた。勤務残り一週間になり、ついに異動することを部員に伝えた。最後の勤務日にサプライズでファンモンの「サヨナラじゃない」を全員で歌ってくれた。「サヨナラじゃないいつでもあなたと 希望 空 未来ぜんぶつながってる アリガトウでは伝えきれないほど温かい日々一人じゃなかった」この歌詞は部活の様子と重なり、号泣してしまいお礼の言葉もろくすっぽ言えずお別れになってしまった。今ならこう言いたい。「君たちと夢を追えてよかったよ!この別れはサヨナラじゃない。いつでも私たちは見えないものでつながってる!アリガトウ」
兵庫県 28才 女性
夫へ
今、私の隣には6か月になる息子がいます。日々の成長に幸せを感じる毎日です。そして、もう1人天国に娘がいます。産まれる直前にお腹の中で消えてしまった命です。毎日泣きわめく私を、夫をはじめ家族が懸命に支えてくれました。決して私を責めることなく、自分が辛いとは一言も言わず、必死に守ろうとしてくれた夫の優しさに救われました。気持ちの整理がついて、前向きになろうとした時に、息子をお腹に授かりました。娘の分まで、この子を可愛がっていく事がわたしの生きる意味だと思って、これからも周りの人々に感謝を忘れず、過ごしていきたいと思っています。普段の暮らしになると、素直になれなくて、ずっと言えてないけど、いつもありがとう。家族が増えたね。これから沢山の思い出作って、幸せな家庭をつくろうね。
茨城県 32才 女性
母へ
お母さん、あなたの年に近づけば近づくほど「ありがとう・・・」の想いが心の底から湧いてきます。こんなことしてくれたんだ、こんなこと我慢してたんだ、こんなに働いていたんだ、お金がなくて子供が欲しがるものを買えないとき、子供より辛かったのはお母さんだったんだ・・・。決して多くない夫のお給料で、ほどいては編みほどいては編んで私たちのセーターを編み、寒天で作ったみつ豆で喜ばせてくれたお母さんのこれまでの日々は、なんと今の私の大きな力になっていることでしょう。お母さんの日々と重ねる私の日々に涙がこぼれます。お母さんの歴史は、私の未来につながっています・・・。二人の娘たちもまた、ありがとうと言ってくれるのです。
愛知県 65才 女性
主人へ
顔が兄妹みたいだねって言われる私たち。ずっと離れて暮らした5年間。長く長く感じたけれど、今は毎日私の隣で笑ってる。ウマイウマイと、下手くそなご飯を食べてくれる。仕事から帰ったらただいまと同時にぎゅって抱き締めてくれる。夜中に目覚めたら隣で大きな口を開けて幸せそうな顔して寝てる。風邪をひいたら、危なっかしい手つきでりんごを剥いてくれる。嬉しすぎて涙が溢れる時はそっと拭ってくれる。あなたと暮らして気づいたことがあるの。私って、こんなに笑う人だったんだって。いつも笑顔にさせてくれてありがとう。これからまだまだ笑顔を積みかさねて、瓜二つだって言われる位そっくりな夫婦になっていこうね。
滋賀県 28才 女性
周りの人達へ
私は、今年の2月に76才の誕生日を迎えました。定年の60才までは、ただ毎日朝早くから、夜遅くまで一生懸命働くことだけで、周りの人達(家族や会社の上司、友人など)に助けてもらったり、応援してもらっている感情はあまりなく、自分1人で頑張ってきたと勘違いをしていました。でも、退職してから、自分の周囲をゆっくり見つめる気持ちの余裕が出来て、その間違いに気付き恥ずかしい気持ちでいっぱいです。自分の頑張りは、全体の2〜3割で、その大半は皆さんの助けがあって、ここまで生きてこられたのです。周りの皆さんに「ありがとう」です。「人は人に生かされ、人は人の為に生きる」そして、この言葉に出逢った今、余生を皆さんに感謝しながら生きたいです。
愛知県 76才 男性
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