ありがとうを贈ろう。

ありがとうの本2016

絆創造業 平安閣グループ

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夫へ
結婚して四十八年。四月九日忘れもしないこの日、あなたの七十六才の誕生日でしたね。今迄元気でいたはずの私が急に、足腰が痛み、痛くて歩けない状態、医者から安静と言われて数ヶ月。主人が食材購入から料理、ゴミ出し、掃除、気持ち良く一日おきの医者通いにと。あなたから「早く治ると良いけど、ゆっくり治すと良いよ。」との言葉、嬉しかった。今迄お互いにやってくれるのが当たり前と思っていた。でも違うのですね。この年令になると、元気であなたがいてくれるのは、有り難い事、本当にありがとう。過去には介護してあげられる幸せを感じましたが、自分が介護される程辛い事はない!と気づかされました。私が元気を取り戻すことが、あなたへの恩返し、感謝でいっぱいです。
愛知県 71才 女性
お母さんへ
いつも料理やそうじ、ありがとう。そして、私がかぜをひいたときやインフルエンザになったときにかん病してくれてありがとう。お母さんがインフルエンザだったとき私もインフルエンザになった。なのにお母さんは自分がインフルエンザでもそんな事も感じさせずに料理を作ってくれたり「大丈夫?」「何かほしいものある?」ときいてくれてありがとうね。おかげですぐに元気になったよ。お母さんはたまに入院するね。入院している間、お皿を洗ったり水とうを洗ったりするけど、その日はあらためてお母さんって毎日大変なんだなぁと思う。そんなお母さんはたまにおこったりするけど、それもお母さんが私を思っていってくれている言葉だよね。いつもありがとう。
愛知県 11才 女子
おばあちゃんへ
おばあちゃん子だった私。幼稚園のバスを勝手におばあちゃん家で降りて母親をびっくりさせてたことが何度もありました。おばあちゃんとの時間が楽しかった。おばあちゃんが大好きだった。でも、一年生に上がった私は、おばあちゃんの家に行くことが少なくなりました。あの時はきっとさみしい思いをし、悲しかったことでしょう。本当にごめんね。今でも後悔しているよ。もう少しおばあちゃんに会いに行けばよかったと。きっとありがとうも伝えてなかったんだろうなあーと思う。だから、これからは、お仏壇に手を合わせ、お墓参りに行くからね。おばあちゃん、ありがとう。ずーっとそばにいてね。
愛知県 39才 女性
妹へ
学校から先に帰って来てたまに落ちこんでいる私は、妹が保育園から帰って来るのを待っている。妹が帰って来ると、落ちこんでいる私に「ただいま。」とすぐにかけ寄って来てくれる。そして支度が終わるとその日の出来事をたくさん聞かせてくれて、私の気持ちを変えさせてくれる妹。また、私がお父さんやお母さんにおこられると、すぐに私のもとへやってきて「だいじょうぶ?次から気をつければいいんだよ。」と私の気持ちを理解して声をかけてくれたり、いつもは、私の目の前で食べている食事も私のとなりに来ていっしょに食べてくれて、うれしい。ふつう姉がやることを妹がやってくれて助かっている。「いつも私の気分を変えてくれて、ありがとう。」妹は私にとって大事な宝物。
愛知県 11才 女子
おじいちゃん、おばあちゃんへ
僕が、名古屋に一人立ちしたのは5年前。それまでは、実家で祖父母と一緒に暮らしてました。いわゆるおじいちゃん、おばあちゃん子です。小さい頃から3人で食卓を囲むのが習慣でした。自転車に乗るのを教わったのもおじいちゃん、弁当や夕飯はおばあちゃんがいつも作ってくれました。僕が年頃になると口数も減り、喧嘩で家の壁に穴開けたり、警察でお世話になったりと迷惑ばかりかけてきました。「孫だと思いたくない。」そんな言葉をかけられたのを、今でも覚えています。僕が名古屋に出て、あまり実家に帰らなくなりました。離れて暮らして分かりました。ご飯は自分で作ったり、外食するにもなにするにも色々とお金がかかるのをそんな当たり前の事を毎日僕の為に、おじいちゃん、おばあちゃんはしてくれたこと。先週、おじいちゃんに久しぶりに電話しました。「元気か?」見えないけどおじいちゃんは笑顔で言ってくれました。電話を切った何時間後に聞きました。おじいちゃんは癌になっていたことを、電話では自分が弱ってること何も言わずに笑顔で僕に「頑張れよ。」って言ってくれたおじいちゃん。自然に涙が出ました。直接本人には照れてなかなか言えませんでした。「育ててくれてありがとう。」この場を借りて言いたいです。明日、久しぶりに実家に帰って元気で過ごしてる僕を見て元気になって欲しいです。
岐阜県 24才 男性
店長へ
0才と3才の子供を抱え、仕事を探していた8年前。「子供がいる。」「子供には病気がある。」と言うと、面接すらしてもらえず悔しくて悔しくて仕方なかったあの時、店長は2つ返事で「一緒に頑張ろう。」と言ってくださいましたね。感謝の気持ちでいっぱいで何とか戦力になれるよう私なりに頑張ってきました。引越しで退職することになってしまいましたが、この7年で学んだ事は私の人生の宝物となりました。最後の日「あなたなら大丈夫。」と言ってくださった言葉は今の私の糧となっています。頑張るチャンスを与えてくださって、信じて応援し続けてくださって、本当にありがとうございました。
愛知県 36才 女性
名前も知らないおじいさんとおばあさんへ
歯医者に行った時、入ろうとしているおばあさんに扉を開けてお通しし、スリッパを出してあげました。おばあさんは「ご親切にどうもありがとうございます。」と、にこりとされ、お連れのおじいさんに「あちらの方がとても親切に扉を開けてスリッパを出してくれたんですよ。」とお話されました。おじいさんも嬉しそうに「私たちは二人合わせて164才です。いろんなことが出来なくなってきて、こうして手を貸して頂けることが本当に有り難いんです。」とおっしゃいました。私にとっては当たり前の行動でしたが、このご夫婦にとっては、とても有り難いことに感じられたのです。「ありがとう」の言葉は、私をとても温かい気持ちにすると同時に「ありがとう」の言葉の持つ意味を教えてくれたのです。そんなきっかけを下さったご夫婦に、ありがとう。
愛知県 29才 女性
75才の両親へ
十年前の誕生日に「おめでとう。」と言われた時に「年はとりたくないからめでたくないよ。」と言った私に、真面目な顔で「そんな事は冗談でも言っちゃダメ!年をとるのは生きてる証。生きたくても生きられない、年をとる事が出来ない人も居るんだよ。」と叱られたよね。それ以降は私も素直に「ありがとう。」と言える様になりました。実家に居ない私に毎年必ず誕生日に電話をかけてくれて「誕生日おめでとう。」と言ってくれる両親に今ではとても感謝しています。これからも長生きして毎年「おめでとう。」と言って下さい。私も「ありがとう。」と言い続けたいから。
愛知県 48才 男性
天国のおばあちゃんへ
おばあちゃん正月しか会わなかったけど、私達兄弟の事を覚えてくれて、優しくしてくれてありがとう。私がおばあちゃんのことを意識し始めたのは、おばあちゃんが入院したと聞いたときからでした。それまでは正月にしか会わなかったから、あまり話さなかったし、意識してませんでした。でも今年になっておばあちゃんは急に入院して急に亡くなっちゃったね。お見まいに行ったときもだるそうにして、それでも私達の名前を呼んで「また来てね。」と言ってくれたね。「また」が来る前におばあちゃんは天国に行って、約束を守れなかったけど。ごめんね。今までありがとう。もう私には姿が見えないけれど、ずっと天国で私達のことをおじいちゃんと一緒に見守っていてね。
愛知県 11才 女子
お母さんへ
お母さん、いつもありがとう。離れてみて初めてわかる親のありがたみとはよく言いますが、今、その意味が身に染みてわかります。実家に帰るといつも「職場でこれもらったから。」とか「特売で買い込みすぎちゃって。」とか言って、食料品や生活雑貨をいっぱい持たせてくれるよね。本当は余り物なんかじゃなくて、私の為に用意してくれているって知っています。恥ずかしくて「そうなんや!ラッキー。」なんて言ってしまいますが、いっぱいの荷物を抱えて帰る道中、たまに涙がこみあげます。いつも思ってくれて、ありがとう。私もお母さんにたくさんのことを返していけるように、一生懸命がんばるね。
愛知県 25才 女性
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